"人生万事塞翁が馬"ということわざがあります。
昔、中国の辺境の砦(塞)の近くに翁(お爺さん)が住んでいました。
ある日そのお爺さんの馬が逃げてしまいました。近所の人は気の毒がりましたが、お爺さんは意に介しません。
やがて、逃げた馬は立派な馬をつれて帰って来ました。人々はお祝いの言葉をかけましたが、お爺さんはこれも意に介しません。
ある日、お爺さんの息子がこの馬から落ち、足が不自由となりました。
お爺さんはまた意に介しません。その後、国が戦争に巻き込まれ、多くの人が戦死しました。
このとき、お爺さんの息子は足が不自由なため、兵士にならず命拾いしました。
この故事からできた言葉が"塞翁が馬 (さいおうがうま)"あるいは"人生万事塞翁が馬"です。
このことわざは「幸、不幸は予測できない」という意味で使われます。
しかし、それ以上のものを感じさせられる言葉ではありませんか?
このおじいさんは、いったいどんな心境だったのでしょう。
ただ何も考えていない、何もやる気のない人だったのでしょうか?それとも内心では一喜一憂していたのでしょうか?それとも、すべてを見通していたのでしょうか?
現代人はさまざまな難題、事件に右往左往しています。その中には、自分のこと、他人のこと、些細なこと、大きなこと、いろいろあるでしょう。その連続の中で、はたして何か大事なものを得ているでしょうか?今あなたが不幸なことが、本当に不幸でしょうか?今しあわせなことが、本当にしあわせでしょうか?
"人生万事塞翁が馬"という言葉は、何かに振り回される生き方に対する、アンチテーゼのようなものを感じさせます。